もし太平洋戦争で本土決戦(ダウンフォール作戦)が実施されたら
日本が太平洋戦争でポツダム宣言を受け入れずに本土決戦をしていたら、なんて一度は想像したことはあるでしょう。
山奥にこもるのか?日本人全員が玉砕するのか?ベトナム戦争みたいにゲリラ戦を展開することもあるかもしれません。
爆撃をしても抵抗する日本に対してアメリカ軍は太平洋戦争を終結させるために本土決戦の計画していました。
本土決戦にあたり、原子爆弾、化学兵器の無差別散布、毒ガス攻撃の使用も想定されていました。もし実行されていれば、日本本土が壊滅的被害を受けるのは明白です。
今回はアメリカ軍が太平洋戦争末期に実行しようとしていた日本本土上陸作戦についてご紹介します。
東京を占領する「ダウンフォール作戦」
海上封鎖で資源を枯渇させ、原子爆弾の投下、サリンやマスタードガスの散布が予定されていました。
作戦の目標は南九州を攻撃するオリンピック作戦、関東地方を攻撃するコロネット作戦に別れています。
ここで疑問となるのが、南九州を攻撃する理由です。これも単なる陽動ではなく意味があります。
オリンピック作戦
オリンピック作戦は関東上陸を支援するために必要な飛行場の確保です。
九州が選ばれた理由は4つあります。
B-29の航続距離が5000㎞、南九州を中心に半径2000㎞で円をかくと日本全土がB-29の爆撃範囲に入ります。その他にも中距離爆撃も空襲に参加できるようになります。
この作戦を実行するためにアメリカは40万人以上の兵力を用意しました。史上最大の上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦では約15万人の兵力が投入されたため大規模な上陸であることがわかります。
日本側はほぼ正確に予想していたが、資材不足やシラス台地の掘削に難航したため防衛陣地は完成しませんでした。
コロネット作戦
コロネット作戦は相模湾と九十九里浜から日本本土に上陸して連合軍が30日で東京を包囲します。
相模湾が上陸地点に選ばれたのにも理由があります。
- 東京から横浜間への交通網が整備されている
- 厚木飛行場や藤沢飛行場が確保できる
- 平野なので車両や兵士が移動しやすいこと
- 相模川を利用して静岡方面の日本部隊を阻止できる
相模湾には30万人、九十九里浜海岸24万人を上陸、海軍や空軍も加わり107万人が参加する計画です。
その他にもジェット戦闘機、艦砲射撃、化学兵器が使用される予定でした。
これに対して日本は決三号作戦で対応しようとします。
特攻機による自爆、沿岸付近では人間魚雷による攻撃、装備は各自が用意して農具しか準備できない人もいました。
大本営は民間人のみでは防衛陣地を敷いても戦線が維持できないと判断、攻撃陣地のみを設営して敵の補給基地や飛行場の設営を妨害をします。その間に内陸の日本軍機動部隊の応援を待つという戦略です。
ダウンフォール作戦後の日本
少なく見積もっても本土決戦では日本では300万人の死傷者が出たとアメリカは予想しています。
東京を占領しても太平洋戦争は終戦せずゲリラ戦に発展すれば、更に被害は大きくなったでしょう。
ソ連軍も参戦して北海道や東北地方も占領されて太平洋戦争後の歴史は変わっていたでしょう。
日本上陸作戦にに伴い米軍は50万人の被害を予想しており、実際に勲章(パープルハート章)を50万個の勲章を製造していました。
仮にダウンフォール作戦が実行された場合、原爆による都市の壊滅、人口の大幅な減少、化学兵器による農地への打撃により日本が復興することはできなかったことが推測されます。