幻の満州へのユダヤ人移民計画(河豚計画)
1930年代に計画されたユダヤ人難民を満州に移住させる計画、河豚計画(フグけいかく)と呼ばれた。
ヨーロッパから招き入れて自治区を建設する予定であったが、日本がナチスと接近するにつれて不可能になりました。
当時のナチスはユダヤ人を迫害していたため、日本とナチスの接近の妨げになるため日本はユダヤ人を満州に招き入れることができなくなりました。
河豚計画の概要
なぜ河豚なのか?とおかしな名前だが、しっかりとした理由があります。
ユダヤ人の受け入れを有益だが危険性もあるという二面性を、美味ですが有毒性もあるフグに例えました。
ドイツ系ユダヤ人を満州に招き、アメリカ系ユダヤ人の資本を満州に誘致することで満州を発展。対ソ連の防衛を満州国に担わせることを計画していました。
ユダヤ人移民計画の失敗
構想はできていましたが、ユダヤ人の移民計画は失敗しました。
1939年に独ソ不可侵条約が結ばれ、ドイツーソビエトー日本の移住ルートが難しくなり、ポーランド侵攻によりユダヤ人はバルト諸国に逃げ込みました。しかし、翌年にソビエトが進行して来たため欧州からユダヤ人が移住することは不可能になりました。
また、太平洋戦争が勃発してユダヤ系アメリカ人からの支援は望めなくなりました。
もし成功していたら
満州国内に本当にユダヤ人が移住していたら満州国が大きく発展したことが望めます。満州の開発を行わせる代わりに、ユダヤ人の宗教や文化の自由を認めるので両者にとって利益がある計画でした。
ユダヤ人がイスラエルではなく満州に流入した場合は満州が現在のように発展していたかもしれません。